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2008年-09年の〈ガザ攻撃〉開始から5年目の昨年12月、東京 東中野のポレポレ坐にて、「The Message from Gaza  ガザ 希望のメッセージ」を、 13日、14日の2日間にわたり上演いたしました。

おかげさまで3回の公演すべて満員となり、多くのみなさま(のべ250名もの方々)にわたくしたちの朗読劇を聴いていただくことができました。

情宣にご協力くださいましたみなさま、寒い中足をお運びいただきましたみなさまに心より御礼申し上げます。

以下、 今回の東京公演をご覧になられた方々の感想から。

●力強い声に、言葉に、からだが何度も震えました… ●文学作品を読んだあとのように、深く心に染み入りました… ●緊迫した臨場感。生の声を聴いて、想像力が身体の中を駆け廻りました… ●個人の「声」には力があります。事実ではなく、真実を伝える力が… ●パレスチナで亡くなった方の魂が舞い降りたようでした… ●抑圧に抵抗すること、敗北の中でそれでも人間であること、つながりの大切さを朗読からひしひしと感じました…

人間性を踏みにじる出来事であるからこそ、〈想像力〉=〈他者に共感する力〉という、わたしたち人間を人間たらしめるこの力を駆使する、文学的、芸術的営為が大切なのだということを、来場されたみなさまとともに役者一同あらためて感じる公演となりました。

東京公演の成功を糧に、2014年2月、地元で京都で再演することが決まりました。京都では、2011年12月の東日本大震災被災地支援チャリティ公演以来、およそ2年ぶりの再演となります。京都および関西圏のみなさま、この機会にぜひ、ご覧ください。

12月13日のようすがギャラリーに加わりました。

「忘却が次の虐殺を準備する」と言います。だとすれば、私たちは今、ガザを忘却することによって次の虐殺を準備しているのかもしれません。忘却に抗してガザを記憶し続けるために、何よりも、150万の人間を袋の鼠状態にして一方的に殺戮するという、人間の想像を絶する出来事を前にして、その攻撃に見舞われたガザと私たちを「想像力」という人間の力によって架橋するために、出来事から5年目のこの12月、朗読劇「ガザ 希望のメッセージ」を再演します。肉声を通して語られる、ガザの声、そしてガザへの思いに触れてください。

公演の詳細

会 場:Space & Cafe ポレポレ坐 東京都中野区中野4-4-1 ポレポレ坐ビル1F

入場料:事前予約 1000円 (高校生以下 800円)/ 当日 1500円
予約・お問い合わせ  080-5314-1539 (つくい)/ gaza2013tokyo@gmail.com

日 時:

  1. 12月13日(金)開演 19:00
  2. 12月14日(土)開演 14:00
  3. 12月14日(土)開演 19:00
※開場は開演の30分前、受け付けは開場の20分前です。開演の15分前までに、受け付けをお済ませください。開演前15分を過ぎても受付をされない場合は、キャンセル扱いになりますのでご注意ください。
※小さな会場です。満席の場合はご入場できません。事前にご予約ください。
当日でも事前にご一報いただければ前売り料金になります。直前になりますと、申し込みが立て込むことが予想されますので、なるべくお早めにご予約ください。

東京公演のチラシ
こちらからダウンロードしてお使いください。

◆ 東京公演に寄せて --岡 真理(脚本・演出)

あの攻撃から、この12月で5年になります。2年前、攻撃から3年目の2011年12月の京都公演に際し、私は次のように書きました。


2008年暮れから翌9年にかけてのイスラエルによるガザ攻撃は、現代世界における人間性の臨界をあらためて露わにする出来事でした。

完全封鎖されたガザ地区に150万の人間を閉じ込めて、人口密集地帯に(ガザの難民キャンプのいくつかでは1平方キロメートルの土地に10万人が暮らしています)、22日間にわたり空から海から陸から、一方的にミサイルと砲弾の雨を見舞って破壊と殺戮を欲しい侭にする……。そんな、人間の想像を絶する攻撃が、しかも、世界注視の中、公然と行われたのでした。その意味でこの攻撃は、それを行う者たちの人間性のみならず、その出来事を観ている私たち自身の人間性の臨界をも問うものでもありました。さらに言えば、これら二重の意味で人間性の臨界を露わにしたこの世界の犠牲者であるパレスチナ人自身の人間性――このような非人間的状況に置かれてなお、人は人間らしい人間であり続けることができるのか――をも問う出来事でした。それによって〈ガザ〉は、〈ヒロシマ〉〈アウシュヴィッツ〉と同じく、人間性の臨界を問う出来事の代名詞となったのであり、そうであってみれば、その出来事に対し、朗読劇という(文学的)応答が企図されるのは、むしろ文学的必然であったと言えましょう。

〈ガザ〉は、1948年以来今日まで60年以上にわたって続く、果てしない「ナクバ」の歴史に刻まれた、数多の悲劇の最も新しいものの一つであり、そして、おそらく、最後のものではありません。韓国の作家、文冨軾さんが光州事件の記憶を綴った文章の冒頭にエピグラムとして掲げたように、「忘却が次の虐殺を準備する」のだとすれば、私たちは、今、ガザを忘却によって、次の〈ガザ〉への道を静かに整えているのでありましょう。

殺戮が起こったときだけ話題になっても、それが終わればやがて忘れ去られる。私たちの関心の埒外で、彼らは依然として、不正義の中に打ち棄てられ、人権の彼岸に置かれているというのに。世界の一時的関心とその後の長い無関心という繰り返しの中で、パレスチナ人はエンドレス・フィルムのように殺され続けてきました。

そうした中にあってなお、人間が人間らしくあり続けること。(「Stay Human(人間であり続けること)」とは、本朗読劇「インターナショナルズの証言」で朗読されるイタリア人活動家、ヴィットリオ・アッリゴーニ――彼は、攻撃後もガザにとどまり、そして今年4月、拉致され、殺害されました――が、ガザ攻撃について綴った自著に付したタイトルです。)ガザであれ、西岸であれ、人間が人間らしく生きることを可能にするあらゆる物理的条件を抹殺していくことで、命を奪うことなく、しかし、パレスチナ人の人間としての生を圧殺していく――。社会学者サリ・ハナフィはこれを、「ジェノサイド(大量虐殺)」に対して、「スペィシオサイド(空間的厄殺)」と名づけました。完全封鎖されたガザの状況とは、このスペィシオサイドのひとつの局面に他なりません。この暴力のまっただ中に置かれながら、それでもなお人は、いかにして、人間らしくあり続けることができるのか。


あれから5年がたちました。昨年11月、ガザは再び、短期間ですが、同様の攻撃に見舞われました。完全封鎖のガザしか知らず、死んでいった幼い命がありました。さらに、内戦の続くシリアでは、200万以上の人々が難民となり、破壊と殺戮が続いています。

出来事から5年目のこの12月、私たちはこの朗読劇を東京で再演することに決めました。忘却に抗するために。応答するために。人間の〈肉声〉がもつ力によって、私たち人間に与えられた「想像力」という力によって、ガザと私たちを、私たちと世界を、架橋するために。Stay Human.